詩的に指摘を 素敵に指摘を

「アドバイス」と「指摘」は違うんやないかと思うんです。

アドバイスは同じ土俵の先輩からのギフトやったり 時に愛のある一撃

指摘は異種格闘技戦 なんでもあり 誰がなに言うか分からない感じがします。

指摘をもらえなくなったら成長がとまる 寸止めの乱取りだけじゃ本番イケません

しかし指摘を100%そのまま真に受けると、今度は自身のいいとこが残らない気もします


「口論」はあんましよくないと思います 互いの心が頑なになる

感情にまかせてきつい言葉を吐いても

自分が多少すっきりするだけで、肝心な「伝える」行為自体が成立しない

んなら、言い合ってた時間はゴミになってしまいます

どーしてもの時は、自分が大怪我すんのも覚悟して、タイミングをみて、急所を狙います

長くなってもしゃあないし  結局ケンカと一緒ですね笑


しかし、遊び、スキがないと、指摘や批判はもらえない

失敗したり、自分の間違いも認めてはじめて、「会話」が始まるんじゃないかと

最近私もインターネット上でしかやりとりをしたことがない知り合いが増えています

これは怖いこと カウンターで肩並べてじゅっくり話さないと、人がわかんない

社会との付き合いは昼に、人との付き合いは夜に勉強するものと習いました

人生の先輩酔っ払いのべ50人くらいに笑


今のご時世、哀しいかな信じられるものなんて殆ど無いですね

でも、人間一人ではなかなか生きていけません

人と関わり合いながら、あっちこっちチクチクしながら生きる

それでも楽しく過ごすには

自分が好きなものを持つことが一番いいのかなーと思います

好きなことを持つと、苦しくても、先に楽しみがある

好きなことを基準にして、「アドバイス」「指摘」「批判」なんかが嗅ぎ分けられる


ちなみにそれは私にとって音楽であります

失敗や悲しみが歌や悪い冗談になり、それを楽しんでくれるお客さんがいる

生傷だらけですが、それもまた芳醇な人生であります!


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