小学校の思い出

私が自分で曲を初めて作ったのは小学2年生

ピアノやってる時、楽譜をみてちまちま練習するのが大嫌いで

作曲コースを先生に勧められてハマってやってました

処女作は「緑の朝」 2曲目は「おんぼろフォルクスワーゲン」

ちなみに2曲目は既にブルースマナーにのっとっています


歌謡曲の替え歌を始めたのが小学4年生

大体女子と先生の悪口です(笑)

仲良しのケンタロウと2人で作っていたのですが

かなり膨大な量ありました ちゃんと1曲ずつ紙に書いてたんです

女子が泣いたり、先生が激怒したりしていたので

クオリティーはかなり高かったのではないでしょうか(笑)


小5か小6の時、ケンタロウと組が変わるか入学する中学が変わるかなんかが発覚し

私達はこの曲たちを隠すことに決めました

学校の最上階から屋上に上がるための避難はしごの扉に隠しました

そこなら誰も知らないし、

何よりはしごを登って上に突き上げるタイプの小さな扉だったのです


隠したことで満足してしまい、しばらく忘れていたある日

大掃除の日でした 先生がぶちきれ顔でこっちに歩いてくるんです

手には例の替え歌集を持って

大掃除の際に見つかったのでしょう 字体や内容からすぐ私達とバレます

それから先は書きません 今は体罰に敏感な世の中ですから(笑)


替え歌集は無くなっても、未だに心に残っている会心の出来の曲がいくつかあります

あえてあげるなら

「岩ゴンのたて笛ちょっとクサイ」と「こにピーのハナクソ」でしょうか

「岩ゴンの〜」は放送室でふざけてマイクで歌ってたら全館放送されていたという

いわくつきの迷曲です(笑) 岩ゴンほんとゴメンね


それから数年経ち、ケンタロウを電車の中でみました

その時私は鼻ピーにスケートボード、ケンタロウはヤンキー

思春期が邪魔をして、歌について話をすることは出来ませんでした


人の悪口はいただけませんが、あの頃は汗をかきながら曲を作ってました

気づいたら昼休みが終わっていたり 日が暮れてたり

今でも1曲作りだすと、大体朝になって、仕事中眠いです


        そう 小学生の頃から 殆ど変わってないんです!







[戻る]